仙台からのレポート

劇団はぐるまは、全日本リアリズム演劇会議(略称:全リ演)に加盟しています。
その加盟劇団の一つである、仙台小劇場の石垣政弘氏が、全リ演に向けて報告をされています。
今回の東北関東大震災の状況について、石垣氏のご好意により、ここに転載いたします。

宮城県仙台市にある仙台小劇場の稽古場と石垣氏の自宅は倒壊を免れたようですが、
現地からのレポートをお読みください。


3月14日

NPO法人劇団仙台小劇場の石垣です。

街の中は復旧が開始されました。まだ、地域によって差はあるようです。

海岸線はほぼ壊滅状態です。

仙台小劇場劇団員は、確認できたところでは大丈夫のようですがしっかりとした確認はできていません。

また、お知らせいたします。

 皆さまの暖かいメッセージをありがとうございます。

 

3月15日

 私たちは、電気もガスもないところでなんとかがんばっています。

 仙台小劇場はいまのところ大丈夫です。旧劇団員が心配ですが連絡は取れません。電話が通じません。

 劇団山形・鶴岡のだいこん座は無事と言うことです。

  私事ですが、いとこが行方不明で、もしかしたら津波にのまれたかも知れません。できるだけ、倒壊した方々にうちに泊まってもらうようにしています。

 街の中は、ガソリンを求めて24時間車がとぐろを巻いています、いつオープンするか分からないのに。コンビニと固定電話(これしか使えません)の前に長蛇の列。食品は底を突きそうです。

 私は、車のガソリンを少し残しています。原発の爆発に備えて北へ逃げるためです。

 首都圏に電力を送るために、嘘でかためられて作られた福島の原発の犠牲に東北の人間は未来までの命を脅かされています。

 

3月15日

 奥羽の劇団に連絡を取っています。

 現在連絡が取れたところ

 ども:北海道江別市
     海岸線の町は船がひっくり返ったりしていますが、
     劇団・劇団員は無事です。

   以下は安念優子さんからです。
     八戸の旧劇団員と、酪農大の演劇部だった松島に実家があり、
     仙台で働いていた桜井靖君が連絡取れていません。
     チェルノブイリの夏の里親をしている友人が江別にいて
     毎年応援してきたので、日本の現実に恐怖と不安を感じています。

 やませ:青森県八戸市
     テレビで放映されたと思いますが、津波の被害は大きいですが、
     劇団員は全員無事です。劇団も公演のパネルが倒れた程度です。

 仙台は引き続き進度3・4程度の余震が数十分間隔で来ます。
 雨が降ってきました。「ぬれたら水で洗って」とテレビで話していますが。こちらは水もガスも出ない。暖房もない冬です。

 
3月15日

 劇団弘演の状況:青森県弘前市

 弘前は内陸なので地震の被害は小さい

 停電の時は大変だった。今は、東北全体がそうですが、物資が不足しています。 劇団員は全員無事です。

 

3月16日

   支木の中野さんとお話ができました。(青森県青森市)
   劇団支木も劇団員は怪我もなく無事だったそうです。

 私たちの心配はむしろ、全くほんとうのことを伝えてくれない原発の動向です。
 仙台は昨日から冷たい雨が降り続き、うっすらと雪さえ積もっています。

 しめった雪は春の報せですが、今年ばかりは恨めしい雪です。

 
 みなさまの励ましのメールをありがとうございました。

 私の家は、津波が押し寄せたところのそばですが無事でした。どうも従姉が犠牲になったようです。 私の家族は全く怪我も有りませんでした。

 大学のシステムを直し、泊まり込みです。

 家の方も中はめちゃくちゃですがかたづけられるところからかたづけています。
電気も来たし、ガスさえ来れば完璧です。

 

3月17日

 今朝の仙台状況をお知らせいたします。

 みなさまのあたたかい激励に感謝しています。

 仙台は雪まじりの冷たい強い風が吹き家が揺れ、余震と風とで揺れ通しです。 ガソリンスタンドには相変わらずの給油待ちの長い長い車の列。今朝は灯油の列も加わりました。
 仙台市内ではガスがあと何ヶ月もかかるというので食堂をはじめ開いている店の情報、銭湯の情報が飛び交い、自転車や徒歩で移動をしています。
 地下鉄・バスが一部動き始めました。JR在来線、新幹線は動いていません。もちろん津波の被災地は何ともなりません。

 私の周りでは、外国の友だちは、領事館がバスをしたて、新潟などから帰国しています。山形や他の県へ動いている人たちも沢山います。

 不明になっていた私の従姉が避難所にいたことが確認されました。喜びと悲しみが雑居しています。 福島の原発は危険度がチェルノブイリの真下まで来たといわれても、どうすればいいのか分かりません。せいぜい、逃げるためのガソリンを使わないで残しておく他はありません。

 仙台の青葉山での放射線量の測定結果では、雪の放射線量が高くなっています。
 「ぬれた身体をシャワーで洗い流して」と言われてますが、冷水で裸になれというのでしょうか。
 「外套はビニール袋に入れて」と言われてますが、何着も外套を持っているというのでしょうか。

 都知事が「天罰」という言葉を使ったようですがそんな「天」ならつばを吐きかけたいと思います。

 息子もいわき市の病院で仕事を続けています。はやく逃げて欲しいという言葉を胸に押し込めています。

 今のところ演劇は無力です。でも、復興の力にはなれるかも知れません。なによりも真実を伝え、騙され原発の建設を受け入れてきた東北の人びとのこころの叫びを感じてもらうことができるかも知れません。東北のひとびとのこころに、自分たちをまもる、防波堤をつくる事ができるかも知れません。

 はやく、舞台を作りたいと思っています。

 みなさまとお会いできることが楽しみです。

 

3月18日

 仙台の朝は、人の心を静めるように、やわらかい雪が積もっています。
大きな揺れが昼夜とずーっと続いています。「慣れてしまったね。このぐらいはたいしたことないね。」と強がりを言っています。

 被害の酷かった仙台市若林区で救出にあたっている消防署員の方から報告をいただきました。私がよく知っている人です。現状をお読み下さい。

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 時間が少し空きましたので、現状報告します。

 若林消防署管内は、南北に走る東部高速道路から海側すべての地域は、建物が皆無で、瓦礫とクラッュした車の山になってます。その中に未だ救出されない方々もおり、この時点では生存での救出は望むべくもありません。何体となく発見される方々を見るたび、救出できなかった無力感に襲われます。今日は避難誘導していたのであろう警察官と近くの小学校に通っていた7歳ぐらいの女児の遺体を発見しました。津波に襲われる直前まで必死に逃げていた光景を思うとき、すみませんの一言ではとても済まされない事を繰り返し思ってしまいます。人の命をこんなにも簡単に奪うことについて、災害だから仕方がないと割り切れないでいます。祈って、心を通わせましょう。

 とりあえず急ぎお知らせしました。

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 私たち仙台小劇場は、ついこの間、2月24日にこの地区にある幼稚園で公演をしました。

 「創立以来はじめて幼稚園に劇団がきたんですよ」ととても喜んでいました。年長ぐみの60人の子どもたちが、どんどん舞台に乗り出してきて、「怪人」が出てくるところでは、大声で応援していました。この報告を読んだ直後「こんどは、年中、年少さんにもぜひ見せたいですねぇ」との幼稚園の先生がおっしゃっていた言葉が不意にわき上がってきました。

 福島原発の報道で「ヘリコプターからの現場の写真が初めて公開されました」とどの局でも報道しています。なぜ今になって「初めて公開」されたのか。なぜ、爆発が起こる前の映像が何ども、目に焼き付くくらい、繰り返されていたのか。どの局も報道の姿勢を忘れています。

 この間の戦争での大本営発表とイラクへ侵略したアメリカの報道官の発表の垂れ流し。今回の報道はどこがちがうのでしょうか。

 

3月19日

 仙台は温かい一日でした。沢山の人が街に出て買い物に奮闘しています。一部でまだ水が出ていなかったり、市ガスは復旧の見込みがないのでシャワーやお風呂をどうするかなどで右往左往しています。あっちの「スーパーが何時から開くらしい」「あそこのガソリンスタンドはどうも従業員がいたから開くかも知れない」などという『情報』が飛び交っています。

 
3月22日

 地震から2度目の月曜日を迎えました。おかげさまで街の中は少しづつ少しづつ日常に近づいております。JRが動かない分だけ通勤の車が混雑し、あいかわらずガソリンを求める長い列が毎日できては消えできては消えしています。

 劇団仙台小劇場は旧劇団員も含めてほぼ無事であることが確認されました。ご心配をおかけしました。

 今日になって、車に積んでいた劇団の音響機材が空港の近くに駐車していた車とともに流されてしまったと連絡がありました。機材なんか取り返せますよ。

 街の中の平穏の装いと、津波の被災地の惨状が背中合わせになっております。津波が届かなかった地域と、全てが流さ れた地域とが道路一つ隔てて、背中合わせのように、私たち の心にも大きな壁があります。そして、こころのあり場を探せないまま人びとは月曜日の朝の喧噪に駆り立てられていきます。

 今朝、私がハンドボールのコーチしていたある高校のOBが遺体安置の名簿にあったとのメールが入りました。

 「石垣さん、ぼくが店を開いたら飲みにきてくださいね」と練習着に着替えながら屈託なく話す姿が脳裏を離れません。就職したばっかりでした。

 7時からガソリンスタンドに並び、幸いにも2時間ほどでバイクに詰めることができたので、仙台の中心街へ向かう車の列とは反対方向の安置所まで走りました。着く頃にはアゴひもがぬれていました。

 昨日は、私たち夫婦は自宅からすぐの隣の名取市のボランティアセンターに行きボランティアに登録、早速仕事になりました。高校生や大学生もたくさん来ていました。妻は炊き出しのおにぎり作りにまわり、「三角でなければならない」というおにぎりを高校生と一緒にひたすら握ったそうです。私はおにぎりを三角に握れない。かならずソフトボールの様になるので、別の仕事で良かったとホッとしました。

 さて私は、最前線ということで、9人のチームで、スコップや一輪車を積んだトラックを従え、一番被害の酷かった名取市閖上の近くに向かいました。閖上は港町。子どもの頃よく自転車で魚釣りに行ったところですが、今回はすべて流されたそうです。

 船が道路を走り、車が水中に突っ込んでいる。両側は沼になっています。かろうじて損壊を免れたが、壁に背丈ほどの水痕が残る家で泥を除去する作業。10センチほど家の中に堆積した泥を土嚢に詰めて外に出す。いろんなものが山のように積み重なっている庭先を掘り起こす。ラジオをかけ、地震が来たらすぐ逃げ出せるように車を待機させての緊張した作業でした。松林が遠くに見えます。ここからもう少しいった先はまるっきり何もなくなっているそうです。まだまだ、人手が必要です。明日も休暇を取って出かけます。私たちと入替に娘が今日ボランティアセンターに向かいました。

 

 前回お伝えした消防署員の方からまたメールをいただきました。

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 発災から10日が過ぎました。今では、殆んど亡くなられた方々の発見となってますが、石巻の生存救出は、今でも家族の救出を待っている方々に、一縷の希望を与えたものと思います。亡くなられた方々の多くは高齢者ですが、中には水没した車の中に閉じ込められていた母子もあり、今後水嵩が低くなるとともにこのようなケースが、そして瓦礫が重機等により除去される共に多くなると思います。3月の下旬となりましたが、海沿いのため風が強く検索救助活動が思うようにできないこともあります。市民を助けることが使命であることを改めて誓い全力で人命救助にあたりたいと思います。物資については、避難所により偏りがあることは事実でありますが、支援体制が整い、総じて足りていると判断できます。ただ、ある中規模の病院で食料が不足し消防に助けを求められました。いずれにしても、個別に動くことは厳禁です。

 各区の災害対策本部に働きかけてください。ボランティアは各区の災害ボランティアセンターに問い合わせ願います。この時期にいたっては、募金が最も喜ばれると思います。未だ発見できない方々がたくさんいる現状から、今後も継続して、全力で人命救助活動を行います。祈りの力をお願いします。

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 「幸い」なのでしょうか。ここのところ雨が降っていません。

 ドイツの友人たちからメールが入っています。彼らは実に福島原発について心配しています。日本の勇ましい情報だけではなく、ほんとうに必要な情報が欲しいのです。日本中にある原発をどうするのか。それぞれの地域で「ここの原発は福島とは違う」という言い訳がまだ通っていないか。

 すでに書きましたが、わが息子もいわき市の病院で食事を作っています。福島をはじめ、私たちはこれから風評被害とも闘っていかなければいけないのでしょう。私たちの「未来のエネルギー」として始まった科学技術が人間の手の届かない暴走を予感させると、地球温暖化防止という御幣でそれを振り払ったかに見えました。

 わたしたちは、こんな形で人間の手では制御しきれない技術をまた見せつけられているのです。技術が人間を苦しめ、それに背を向けても今度は風評によって人間が人間を苦しめる。これほどまでに痛めつける理由があるのかどうか。

 
4月3日

 一人一人の悲しみは、時間毎増えていくのに、死亡・行方不明者数を母数にしたときの分数のように薄れていくわけではなく、痛みが吹き出さないように工夫がほどこされ、その人たちの生きてきた生活の場に、沈着していくだけかもしれません。

 地震から三週間が過ぎました。被災地からのレポートをお送りいたします。町にはリアリズムとロマンチシズムが混在しています。たぶんこれが現状報告の最終になると思います。

 奥州市のある方から「被災者の子どもたちに、文具を贈りたいので支援を」という呼びかけに、私たちのお父さんたちのネットワークも動きました。メール一つの呼びかけに、ドイツのプロテスタント教会の方々、世界的に有名なエンジニアリングの会社が答えて下さり、荷物が届くことになりました。

 また、仙台で会社を経営する友人のインドにすむ家族が、仙台に来るという。「もう少し安定してから・・・」と電話でいうと「私たちは仙台の人と思ってますから」といいます。

 ここのところ頻繁に名取市にボランティアに出かけております。昨日は、またチームを組んで町が流された閖上に派遣されました。大きな倉庫があったためか奇跡的に残った一区画の家の中に入り込んだヘドロをまる一日中とりのぞき、残った家具を運ぶの作業。

 ハンドボールで鍛えた身体も少し悲鳴を上げています。

 ボランティアの人数は日を追う毎に多くなっていきます。遠く四国や関東からもキャンプ用具持参で駆けつけてくれています。”おじさんとお兄ちゃん” が ”おばさんとおねえちゃん” が汗と泥にまみれて「どっから来たの?」などと話しています。

 私たちはこのボーダーレスなつながりにすべての希望を見いだしています。だとしたら、私たちの劇団という組織をどう作っていくかにも思いを馳せることが可能だろうと思っています。

 そこで、私たちの苦しみを和らげようと自分自身の生活を守ろうとするとでてくる ”線を引くこと” が必要だという意見もあると思います。その ”線を引くこと” の痛みについて自分自身の内外で考えたいとおもいます。

 すでに報告したように、閖上地区を走る高速道路の土塁一つが被害の大きさを極端に線を引き、走って駆け上れた人とたどり着けなかった家族と生死を分けました。

 私たちマイクロバスで下ろされる目印は車の突き刺さったままのコンビニエンスストア。そこから先は未だに立ち入り禁止になっています。そのコンビニエンスストアまで道路をまたぐ歩道橋は、津波当時悲惨だったという話を、ボランティア先の方が話しておりました。濁流におそわれこの歩道橋の上まで昇った方は助かり、階段途上の方は目の前で流されていったそうです。

 また仙台市若林区の消防署の方のレポートをいただきました。

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現地報告(第3信)

 発災から3週間目に入りました。今でも朝目覚めると本当だろうかと確かめてしまいます。被災にあわれた方々の気持ちを考えると居たたまれません。海沿いにあった集落と新興団地の住宅の瓦礫が塊となっているところの検索活動を行っています。瓦礫を除去する度に息絶えた方々を発見します。その中で3歳ぐらいの男の子そして傍でおじいちゃんであろう方を発見しました。今はできるだけ早く発見することに全力を注いでいます。泣いては入られません。未だ発見されていない家族を待っている方々のため総力を挙げ、1日でも早くその思いに応えたいと思います。

 ------------------------------------------- ここまで

 仙台の中心部は物流も交通も復旧しはじめ「平穏」をかこっています。車が渋滞し、残業も普段通り行われるようになりました。津波の被災地とそれほどの影響を受けなかった地域と危うい ”線引き” を背景にし、こころはロマンティシズムを求めています。

 高校生は部活を禁じられています。再開の時期は分かりません。

 毎日国営テレビで放映されている高校野球はどうなのでしょうか。

 甲子園で活躍できる種目と、利用できる映像とそうでないスポーツに大きな溝をつくりだしています。

 野球は敵国スポーツとして軍部の意向を鑑みた文部省から許されず、中等高校野球大会も中止にされました。挙国一致のために利用できない野球が封じ込まれたのです。私たちはさまざまな角度から現在の現象をリアルに捉えていく必要があります。

 福島原発の状況は悪化の一途をたどっています。海に非常に高い放射能を有する水が流れ出しました。「1000ミリシーベルトを超す」という言葉がニュースで流れます。これまでは、「0.11マイクロ」などと小数点以下までの有効桁数だったのが突然、「1000ミリシーベルト超す」のです。測定限界を超して、測定できないからです。「以上」というのは、1200とか1800とか常識ではそう思うでしょう。しかし、ある計器で測定不能ということは上限が分からないということです。それなのに「海中では薄まるので」などと談話しています。

 学生がもし、こんな卒業論文をかいてきたら大学の教員はどう対応するのでしょうか。

 「土壌からプルトニウムが」という報道を聞くと、『プルトニウムまで見つかったか』と思うのが普通ですが、このような報道はこの時までプルトニウムの測定が行われていなかった事実を隠してしまいます。テレビの解説者は微量のプルトニウムの分析には時間がかかるなどと『安心』させています。なん十キロ圏内というコンパスで描かれた線によって、あるいは放射線基準量の何倍という基準で『安心』か『安心でない』かが議論されています。

 残念ながら、これだけ見てもすでに福島原発では学術的な議論も学者も排除されてしまっていることに気づきます。

 東京都知事選が行われています。私たちは注目しています。「東京がガタガタになったら国は終わりだ。東京は日本の心臓であり頭。東京をガタガタにするわけにはいかない。」と話している人がいました。

 政治的な状況のことでしょうが、ここでも首都東京とそれ以外がはっきりと線引きされています。「南洋諸島は海の生命線」「本土防衛」「国体の維持」ついこの間の戦争で次々と線を引きながら、内側の人を『安心』させ、線の外側の人々を犠牲にしてきた ”線引き” をいつも思い出します。

 自分の住み慣れた町を追いやられたひとびとが、新しい土地を受け入れるかの決断を迫られています。「平穏」であることが私たちには、より一層つらい春の訪れてとなりました。私たちは私たちのこころの内外の ”線引き” と戦って生きなければならないことが大切です。

 私たち舞台人はいつでも引かれようとする線の相手側へ潜り込むことのできる想像力を持ち、内と外をつなぐ創造力がまだ残っていると思います。そして、そこにこそリアリズムの貢献があると思っています。

 みなさんのたくさんの励ましの言葉をありがとうございました。