2008年9月7日、私たちは初めての海外公演を経験しました。

韓国の春川市で開かれた、春川国際演劇祭に招待され、

「夜空の下に降る花は」を上演したのです。


 

劇団はぐるまの
「夜空の下に降る花は」を見て

                 春川国際演劇祭事務局長
                 劇団DOMO代表

       黄 雲基(ファン・ウンギ)

 日本のアニメ「火垂るの墓」を見たことがあります。二人の子供がいる父として、清太と節子が戦争の被害者になって死んで行く姿がとても切なかったのを覚えています。

 演劇「夜空の下に降る花は」は、2006年、松山での全日本リアリズム演劇祭に参加した時、一番最後に観覧した作品です。日本の戦争に関するお話は、韓国人にとってあまりきれいに見えないのですが、お芝居で見た『戦争の苦痛』は、国籍に関係なく皆の共感を呼ぶ内容でした。

 初めてこの作品を観た時、胸にじんとくる感動で席からすぐ立ち上がることができませんでした。それは、第二次世界大戦の時、日本は富裕な生活で貧乏はいないはずだと思っていたからです。多分韓国と中国の大勢は日本の人々が戦争のため、何もかも不足でご飯も食べられないぐらいだったとは思っていなかったはずです。

 少年の目を通して戦争の痛みを見せてくれるこの作品を韓国にいつか紹介をしたいと思っていました。そこで2008春川国際演劇祭でこのお芝居を紹介することになりました。韓国で日本の戦争を素材にした演劇を上演するということは易しくない決定でしたが、戦争の痛みをどこの国よりよくわかっている韓国の観客に『理解』と『共感』を与えたかったのです。

 弟のヤギの乳を自分が飲んだから弟が死んだと思う少年と、敵を殺さないと自分が殺される戦場から気が抜けたようになって帰ってきたお父さん、そして爆撃で赤んぼうを失った家族の姿は涙が出るほど悲しかった。そして、安定した演技と象徴化された小品は印象的でした。

 韓国・春川の公演では春川国際演劇祭関係者はもちろん、春川市長と春川警察署長もわざわざ見に来ていただき、はぐるまを応援してくれて公演の意味を更に深めてくれました。

 客席をいっぱいに埋めた観客たちも熱誠的な演技と切ないお話への深い共感を大きな拍手で見せてくれました。

 厳しい日程と状況の中、春川国際演劇祭に参加し、熱意をつくして公演してくれた劇団はぐるまに感謝をいたします。

     
春川・春川国際演劇祭
 春川市は、大韓民国江原道の道庁所在地。人口約30万人。春川国際演劇祭は、1993年7月に始まり、当初三年おきに開催。2002年から毎年開催となり今年で10回目。地域を越え、海外の専門演劇人とアマチュアと市民が参加する、韓国を代表する舞台芸術祭。舞台を通してそれぞれの文化を互いに感じあい理解を深め、平和と友情を分かち合う世界の文化交流の場。
  劇団DOMO
 2000年韓国・春川市で旗揚げした劇団DOMOは、創作劇を主として演劇活動を続けながら新しい舞台言語と表現方法を模索する創造集団である。創立当初から企画・上演されてきた作品「悪夢」は上演の度に進化と成長を重ね、2007年日本全国ツアーを決行、日本列島を縦断し各地で喝采をあびている。
 また、日本各地の演劇人と共同でプロジェクトの企画・製作・運営まで多角的な努力を通じて演劇だけに留まらない日韓の文化交流の一役を担っている。

 

海を越えた はぐるま
 ―韓国春川市国際演劇祭に参加して―

                          なみ 悟朗

 劇団はぐるまは、50年を超える長い歴史の中ではじめて海を越えた。戦後解決されなかった「竹島問題」で公式交流がとだえた韓国へ。
 それも日の丸が振られる 日本の戦争をえがいた作品を持って。

 僕らは、春川(チュンチョン)市の国際演劇祭(9月4〜8日)に招待され、9月7日にボムネ劇場(200席)でこの「夜空の下に降る花は」を上演することになった。この芝居は、岐阜空襲60周年に初演。一昨年、四国松山市での全日本演劇フェスティバルに参加し、そこに招待されていた韓国の劇団DOMO(ドモ)との出会いが縁。日本語での上演で字幕や同時通訳もなく、真意が伝わるか不安もあったが、ドモの代表で演劇祭事務局長の黄雲基さんの「松山では感動しました。」という暖かいメールに励まされ、キャスト8人を含め21人で参加した。あらすじのハングル翻訳をして下さった、日本で暮らすキヨンさんに出発間際に教わった、たどたどしいほんの少しの韓国語のせりふをたずさえて。

 6日、あわただしい旅の始まり。
 心配したとおり 兵隊が使う銃が韓国の税関で止められた。若い職員たちが5,6人集まってくる。国際演劇祭用の小道具だと説明しても「カブキ?」などと言いながら調べている。というより めずらしいおもちゃを15分くらい楽しんでやっと税関を通してくれた。銃のレバーを無理やり動かして壊してしまったあげくにである。空港への観光バスでのお迎えは パクさんとキムさん。若くすてきな女学生のボランティア通訳さんである。アニョンハセヨー! このお二人には、バスの中での芝居の韓国語の発音練習、仕込み・本番はもちろん、早朝から真夜中の打ち上げ、観光まで、本当にお世話になりっぱなしだった。
 お世話といえば、ドイツ、ロシア、シンガポール、日本など世界6カ国以上、市内8箇所での街中あげての演劇祭。 劇場運営から宿、食事、送り迎えまで100人以上の市民ボランティアを組織し、わずか十数人の劇団員でこの大規模な演劇祭をとりしきるドモにも驚き感動した。まさに、彼らは1週間不眠不休。

 さて空港からバスで約3時間。山中の近代的な中高層住宅ビル群のほかは、どこかなつかしい風景の中をぬけ、冬ソナのロケ地―チュンチョンに。人でにぎわう街なかの劇場は、約8m四方の床―舞台を、1階は正面席、二階は三方向からとりかこむような何もない舞台空間。夜、ベネズエラの一人芝居を観た。

 我々は、飛ぶ蛍や 空襲の炎のドロップ幕など、天井に仕掛けのバトンを設置することからはじめなければならない。観劇後、明日はどこから作業を始めようかと天井を見上げていたら、ドモの劇場スタッフは心配して、仕込みを始めましょうと言ってくれる。夜の11時近くである。日本では考えられない。僕らの劇場だから大丈夫と言って下さるのには頭が下がるが、さすがにそれはことわった。1日あれば何とかなる。それに、天井組の材料を明日調達してからしか 本格的な仕込みは始められない。
 仕込みと本番にそなえ、パクさんに案内してもらいタッカルビ(鳥焼肉)をたらふく食べた。チュンチョンはタッカルビ発祥の地、うまくて安い。

 本番の朝、ホームセンターで必要資材を買い込んで、作業開始。お昼は 劇場でごちそうをバイキングのようにみんなで食べてなごやか。しかし、不足する材料や道具があったりして、夜になっても思うように作業は進まず皆イラだってきた。リハーサルを始めたいが、夜9時の本番までに全部通す時間は無い。芝居は中抜きでリハを無理やり終え、仕込み用の仮設パイプもそのまま舞台の後ろに押し込んで、不安をかかえたまま、パクちゃんがあらすじを朗読する。客席は、ほぼいっぱい。とにかくやるしかない。ところどころのつたない韓国語にうなづいたり、笑ってくれたりもする。客席は食い入るようにこちらを見つめている。最後のユキオ(糸永しのぶ)のせりふが終わってシーンとする中、カーテンコールのライトが点くと ウヲーという歓声と拍手に包まれた。 泣いていた人もいる。市長さんや実行委員長が正面に座っていて にこやかにうなづきながら 握手を求めてきた。よかった、なんとか伝わったんだ、僕らの思いは・・。

 仕込みについては、くやしい思いもあったが、とにかく好評のうちに終わったのである。その晩は、街の中心部の野外ステージ交流会に。世界のパフォーマーと交流。ビール飲み放題。ダンスや日本のストリートジャズで大いにもりあがった。夜中1時近く、やっと僕らの打ち上げがはじまる。通訳のパクちゃんは 客席で、もうぐしょぐしょに泣きましたと言ってくれた。
 明日の朝には、演出のマコちゃんたち早帰り組とお別れ。公演の感動とうまい骨付きカルビをかみ締めながらチュンチョンの夜は更けていく。ドモと暖かい韓国の皆さんに カムサハムニダ(ありがとう)!

 

劇団員の韓国レポートから一部を紹介します
 演劇祭の事務所は、春川の街中にありました。
 街に入ると演劇祭のポスターがあっちこっちに貼ってあり、大きなビルにはでかでかと垂れ幕があって、街が一丸となってやっている大きなイベントだってことを体感しました。野外ステージではパントマイムショーをやっていて、今まで見たことのないジャンルのエンターテイメントで新鮮でした。通訳のチナに聞いたら、韓国ではパントマイムが一番人気があるそうです。ちょっとした文化の違いが面白い。

 劇場に入り、現場の舞台監督さんとの打ち合わせは難航。
 バトンを吊るす場所について、「あっちはどうだ」「こっちはどうか」と試行錯誤。寸法の合わない平台を最後には「切ってもいい」と言ってくださり、「すべての責任は自分が取る!!」と頼もしい一言。 ……と言った話を、一緒に残ってくれたチナが間に入って、電子辞書を片手に通訳しつつ、夜中の12時半に打ち合わせ終了。

 材料の不足もあり、満足に仕込みもできぬまま30分のゲネプロ。そして本番。終わると大きな拍手が起こりました。美保さん(おかあさん役)に感動した人が多いことが印象的でした。懐かしいお母さん像は世界共通なのかもしれないなと思いました。

                             守富 舞

       
 初の海外公演、カッコイイー!! なんて最初はのぼせ状態だったけど、日が経つにつれて不安がだんだん心の中をしめる様になって行った。言葉が通じない、日本人は嫌われている、仕込み・リハの時間が一日まるっとない……
 そんなこんなで韓国に到着したが、パクさん、キムさんに会ったら、緊張感も多少やわらいだ。公演後には、お客様の反応にも救われたけど……

 それしても、思っていたより大規模なフェスティバルでおどろいた。DOMOの人たちのパワーには頭が下がる。これを機会に交流を続けていけたらいいなぁと思う。

                            辻 あい

       
第一の関門 税関で鉄砲が査察に掛かる
 見ればおもちゃ以下の道具にしか見えないのに係わらず、製品カタログ見せろとか、言葉がわからないとか、10分近くとめられる。少々分解された。

第二の関門 スタッフが思ったよりいない。
 各パートのスタッフが居てくれるのかと思ったら、若い舞台監督が一人だけで、あとは2人のボランティアがいるのみ。依頼した小道具も、依頼の内容が100%伝わっているわけではない。

第三の関門 仕込み材もほとんどないことを確認。

第四の関門 バトンとケーブルが絡まっている。
 いくつかの仕込をあきらめ、開場。
 袖幕の位置が違っていたので確認すると、振り落としバトンとライトケーブルが絡まっていた。舞台監督が処理して本番スタート。客席は終始集中。終演後は大喝采を受けて、カーテンコールを終える。
 春川市長が最初から最後まで観劇してくれて、この場で各務原市長の親書を手渡す。その場で開封して一読。返書は明日となる。

第五の関門 韓国料理を回避する。

 その他、バスに乗り遅れそうになったり、飛行機に乗り遅れそうになったり、手荷物チェックで引っかかったりしましたが、何とか日本に辿り着きました。
 皆さん本当にお疲れでした。

                              舩渡 治郎

       
   仕込みの材料を買出しに行かなければならなくなった。言葉は伝わらない。紙に絵を書いてみるもダメ。手振りも伝わらない。「なんでわからんの」 心の中で何回も何回も思った。「辞書くらい携帯していればよかった。」とあとで思った。
 仕込みも不完全なまま、ゲネ、そして本番。・・・そして終わってしまった。
 ま、いろいろ、いい勉強になりました。
 ありがとうございました。

                           種田 正義

       
 韓国公演お疲れ様でした。
 すばらしいお客様に囲まれて、幸せな舞台でした。
 竹島問題が騒がれているなかでの公演で、正直不安がありましたが、暖かい拍手をいただくことができて、参加して本当に良かったと思っています。

 閉会式の時に、偶然に舞台を観てくれたお客さんに声をかけられました。二十代前半くらいの3人組の若者で、すごく面白かったと言ってもらえたときすごく嬉かったです。

                             木方 篤志

       
 4月、劇団事務所でメールをチェックしていると、こばやし宛で韓国のファンさんよりメールが届いていた。これが、そもそもの韓国公演の始まり・・・・
 慣れない事で、あれやこれやと心配していましたが、事務局長はじめ(無茶苦茶かっこいい!)、メールをやり取りしてくださった崔銀善さん、通訳・ガイドもしてくれたパクさん、キムさん、そして関わってくださった皆さんが親切で、本当に貴重な体験をすることができました。
 歴史が起こしたいろんな問題はあるけれど、家族の愛情だったり、悲しみ、思いやることなど、感じることは同じだなとつくづく思いました。この「夜空の下に降る花は」を、韓国で上演できたことに感謝します。そして、韓国の演劇祭に取り組む情熱はすばらしいものであると心から感じました。
 本当にお疲れさまでした!

                            日比野 圭

       
 初の海外公演で、決まった時は「すごい事だ」と興奮してましたが、竹島問題にホームステイなどなど不安な事がいっぱいで行くまではちょっとどきどきでした。でも、現地に着くとそんな不安はなんのその! DOMOの劇団員の方々はじめ、スタッフ、はぐるまにずっとついててくれたボランティア学生のパクちゃん、キムちゃん、みんなほんっとに親切で、笑顔で迎えてくれました。もうその温かさに癒され、本番当日は変なストレスを抱える事なく、舞台に立つことができました。戦争がテーマの芝居を韓国で上演するという事はなかなかできない事だと思います。韓国でたくさん拍手をもらって交際交流できたことは、私たちの自信と誇りになったと思います。
 一生懸命勉強した韓国語は、一つマスターするとあれもこれもと頑張って韓国語で挑戦したくなりました。本番前日、韓国語も日本語も出てこない夢を見てすっごく焦りましたが・・・・・。本番は大丈夫でした。台詞は韓国語にすると感情が入らないと思っていましたが、芝居では感情と共にスーッと出てきました。とっても不思議な感覚でしたが、芝居も歌などと同じように、感情の共有という点で世界共通のものなんだなぁと改めて感じました。

                            関谷 真希

       
 初めて訪れた韓国は、想像以上にパワフルで活気に満ちていました。
 役者として今まで経験したことのないお客様との一体感を感じることができました。それはセリフの中に韓国語をちりばめていたからだけではない、全身全霊伝えようとする役者と、全身全霊受け止めよう感じようとする客席とのまさに『届いてこの思い!』だった。国民性だろう、やっぱり血が熱い。

 大きな大きな不安を抱えた渡航でした。日韓関係の微妙な時期であること、戦争のお話であること等々。竹島問題で、日本で報道される韓国の様子は日の丸に火をつけるなど過激なモノで、どんどん不安はつのり、夜中に目が覚めたり眠れない日が続いたりしました。でも稽古が始まると改めてこの脚本の優しさを実感して、ちゃんと伝わるはず! 伝えなきゃ! に変わっていきました。一生懸命やるんだから、刺されたっていいや! なんて思ったりもしてました。

 春川の街を歩いて、土地の人たちと話をして、自分たちがいかに勉強不足であるかということに反省し、いろんな意味でパワーを持った韓国の皆さんに脱帽でした。今まさに成長している国、人。ううん、人が国を創るのか。

 自分もがんばろうと思えた韓国公演でした。

                          糸永 しのぶ

       
 韓国に到着。
 豪華な観光バスでお迎えに来てくれた、若く可愛い通訳ボランティアの女の子とはすぐにお友達になれた。バスの中、韓国語の先生に教えてもらった台詞と独学のハングルがはたして通用するのか彼女らにためしたが、通じない・・・ ああ!(私はそうだった・・・ショック) でも本番までのわずかな移動時間に皆努力を重ねた。

 芝居の出来としては、決して完璧ではなく、いろいろトラブルもあったけれど、終わったときの客席の反応は、日本では味わったことのないほど好意的で熱狂的だった。よかった。

 お世話していただいた全ての方に感謝。ありがとうございました。

                           松久 美保

       
 9月6日(土)
早朝出発。
私は海外は初。もちろん韓国も初。なんとセントレアも初。
2時間ほどでインチョン空港に到着。目的地の演劇祭会場は空港からバスで3時間の田舎町だった。

夕方、春川市に着き、ステキなレストランで歓迎してもらい韓国料理でおもてなししてもらった。
明日は朝から仕込み、本番は夜9時から・・・  一日中劇場の中。

 9月7日(日)
早起きして朝ご飯。韓国は朝からキムチ、チゲ、とても辛い。
早朝から1日仕込み。史上最大のドタバタの中での本番だったけど、お客様は温かく、大歓声と拍手をいただいた。
バラシの後は交流会で、ビール飲み放題、リンゴ食べ放題、出し物たくさん、どんちゃん騒ぎ。
その後、タッカルビ(鶏焼き肉)で打ち上げ。

 9月8日(月)
さすがに眠い。朝ご飯は今日も本格的韓国料理。
プルコギと豆腐鍋、そしてもちろんキムチ。

昼間は観劇と観光をして、夜には日本から持参した浴衣を着て閉会式参加。韓国スタッフさんたちとお別れし、デジカルビ&サムギョプサルを食べに… もちろんがっつり食べました。

本当にいい経験だったと、心から思います。個人的には食わず嫌いだった海外にも出ることができて、少しですが世界が広がった気がします。

                          田辺 果林

       
 道具部にとって、はなはだ過酷な公演であった。最悪「蛍」さえ飛べば・・・  と乗り込んだものの、言葉の壁を目の当たりにして少しでも視覚的に手助けできたらと、森のドロップ、振り落としの炎、花の仕掛けに挑戦することにした。しかし、スノコやバトンの材料を買い集めるのに昼近くまでかかり、高所作業のイントレは1台しかなく、仮設の現場合わせの仕事は、自分で判断できる人間がいない。
 とにかく時間がなかった!!!

 異国の地での初公演は、大局的にものを見る目の大切さを痛感させられた。

                       田路 栄一

       
 今回また新しいチャレンジがあり、舞台の仕込みを最初から参加できるという経験をしました。
 稽古場でカーテンのフックに輪をつける作業に始まり、現地では意味も解らないままヒモを切ったりしていましたが、時間が経つにつれて、その材料の用途が次第にわかってきて、一人感心していました。
 しかし、あまりにもの慌しさについていくのが必死で、ここが韓国である事を忘れ、たまにふっと思い出しては他国で作業しているという不思議な感覚にワクワクしていました。

 ・・・帰国した時、荷物検査の人に「ようこそ 日本にはどんな目的で来ましたか?」と聞かれ、多少びっくりでした。

                       村山 弘樹